昨日は久しぶりにブログを
休みました
いろいろ重なり
書くテンションに持ち込めず
このまま書いても
グチグチとネガティブをぶちまけそう
だったのでやめました笑
今日のはかなり私事になりますので
興味あれば読んで下さい(^_^;
僕は小学生くらいから
人に認められたい、誉められたい
という思いが強く
良くも悪くもこの承認欲求に
お世話になってきました🤣
人に合わせて認められたいや
誉められたいというのは
なく
自分自身のままで
認められたいという思いが強かった
まぁ
それがなかなかうまくいかず
それと同時に認められたいという
思いが段々強くなっていきました
普通とされてる生活の中で
精神世界の話なんてしたら
なぜか
頭のおかしいやつと思われますからね笑
人に
認められなければ
死んでいるのと同じ
存在してないのと同じ
この考えが未だに根深く残っています😓
でも去年に
そんなことを考えなくても
存在そのものを認めてくれる
凄いと言ってくれる
仲間に出逢い
人に認められたいという思いが
うっすらと消えていきました
そして絵を描きはじめ
それを観て
褒めてくれて感動されて感謝されて
はじめて生きているんだという
実感が湧きました
誰でもあると思うんですけど
学校や職場って
これができたら先生に誉められる
この仕事ができたら先輩や上司に
誉められる
褒められることが決まってるんです
僕の働いていたとこもそうでした
大抵がそうだと思います
でも
自分の中では先輩に褒められても
そんなに嬉しくなかった
なんでだろうと考えてたら
ある時に気付いたんです
褒められると分かっててやる事って
なんてつまらないんだろうと
その人の期待通りに動いて
褒められただけの話で
当たり前ですが
生き甲斐になんてならなかった
僕の絵は完全にイメージで描くので
相手が喜んでくれるかわからない
期待通りになるかもわからない
それでもありがたいことにオーダーをくれる
人がいる。
自分がゼロから生み出したもので
感謝されて喜んでもらえる
ということが本当に不思議で
30歳にしてはじめて味わった
感情だった
それから
同じようにアーティストとして
活動される凄い人達と出逢う中で
俺はこの人達よりも凄くなければ
いけない
でなければ
また
死んでいるのと同じになる
誰も気付いてくれなくなる
もっと凄い絵を描かなくては
もっとすごい情報を発信しなければ
という思いが
ここ最近、一気に溢れてきて
特に昨日がヤバかった🤣
それで昨日
真っ暗な部屋でゲームを
していたら
アメーバブログの通知が入った
普段ゲーム中は
確認しないが携帯を
見てみたら
お世話になっている
マクラメ作家(芦屋トッキュウジャー)の
青山操さんの
ブログが更新されていた
早速見てみた
流石です
もろに承認欲求のことを書いていた笑
なんてタイムリーなんだ
宇宙仲間にはお見通しだった
それで純粋に考えてみた
承認欲求が自我からきているのならば
自我を抜きにして考えてみようと
なぜ絵を描くのか?
認められたいからではなく
自分の観たものを描きたいから
なぜ情報を発信するのか
褒められたいからではなく
受け取ってくれる人がいるから
驚くほどシンプルな答えだった
そして
絵(artなど)はその人に一生残るもの
物理的には壊れたり劣化したり
するけど
それに宿った精神は決して時間が経っても
古くならない
ピカソや岡本太郎
の描いた絵も何十年も前のものだが
未だに語り継がれ
人々に感動を与えている
彼らは認められるためなんかに
絵を描いていなかったと思う
ものに限らず
マヤ暦も昔からあるものだが
決して
古いものではない
時代に合わせて進化している
ピカソの絵には
ピカソの精神が宿り
岡本太郎の絵には
岡本太郎の精神が宿り
マヤ暦には
マヤ人の精神が宿っている
だから古くならないし
腐らない
僕はそんな絵を描いているんだということを
承認欲求を通して
思い出させてくれました
承認欲求って
悪いとこばかりじゃないんですよ
モチベーション上がるし
頑張れる
ただかなりのじゃじゃ馬🤣
他のブログの記事でも
実は
結構自分に言い聞かしてるのが
多いんですよね笑
はぁ
早く宇宙仲間と遊びたい😭
色々と書きましたが
最後まで読んで頂き
ありがとうございます🌈
まだ地上でやることがあるみたいです🌏
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