僕が小学2、3年生の頃
休みの日に遊びに誘いに
友達の家に行った時のこと
インターホンを押すと
友達が出迎えてくれた
僕は
『今から遊ぼ!!』と言うと
友達は
『今から家族と出掛けるから
無理やねん』と言った
その時に
僕は
この子にとっての家族は
お父さんとお母さんで
この子の父親と母親にとっても
家族はその子供
つまり
”血の繋がり”が家族で
それ以外は他人
僕は“他人”なんだと
漠然としながらも
確信した
家に帰り僕は
哀しさと虚しさでいっぱいになり
声を出して泣いた
その頃くらいから
“家族”とはなんだろうと
真剣に考えるようになった
宇宙から来たのに
魂に血の繋がりはないのに
どうしてみんなの家族観は
血の繋がりなんだろう
僕はおばあちゃんに育てられた
僕にとっての母親だ
命の恩人だ
たとえ“血の繋がり”がなかったとしても
僕は育ててくれた人に
同じことを想うだろう
つまり“血の繋がり”は
固定概念ということだ
それから
僕はいろんな友達に聞いた
『君にとっての家族って誰?』
みんな当たり前のように言った
『お母さんとお父さん』
あれから
20年以上の時が流れた
20年以上も経ったのに
この固定概念は
なにも変わっていない
いまだに血の繋がりを
なんの疑問もなく信じている
その家族観が
分離を生み他人を生み出していると
いつになったら気付くのだろう
人間は自分が愛したものしか
大切には想えない
つまり
愛されるというベクトルではなく
愛するというベクトルが
家族を創るということだ
その愛するというベクトルを
身内や血の繋がりを持つものだけでなく
友達にも向けられないものだろうか
我が子を愛するように
友達や隣人を愛せないものだろうか
宇宙に意識を向ける前に
家族の価値観について
1人1人考えてほしい
当たり前とされている
考えた事もない常識から
見直してほしい
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