『寂しさから観たもの』





最近、どうして自分が
去年いきなり寂しくなったのかが
やっと分かった




コロナ禍で会えない人が増えたからだと
思ってたけど違った




僕は子供の頃、家庭環境により
ひとりでいることが圧倒的に多かったので
寂しさに対して人よりも
免疫があると思っていたし



実際、寂しいと言ってる人を見ても
ぬくぬくと育ってきたからだろうと
思っていた




でも
気付いた



昔の僕は


大切と想う人

愛する人を

つくってこなかった




寂しさに免疫があるのではなく



寂しさを知らなかった
だけだった



寂しい事が
こんなにも苦しいとは
心臓がもがれるようなものだとは
思ってもいなかった



でも


寂しさはその苦しさと
同時に
大切な人
愛する人がいることを
僕に教えてくれた




その人達は
そばにいなくても
そばにいる信頼という
安心感を与えてくれた




寂しさを感じても
その人達の顔が思い浮かぶ



そして
ほんの少しだけ遅れて
思い出と安心感がやってくる



この記憶が
この暖かさが
このぬくもりが
愛と幸せそのものだ





神様は本当に
無駄なものを創らない





僕は寂しさを通して愛を観た



32歳にして初めて寂しいを感じれた



そしてまた1つ自分を知れた



自分を知ることがこんなにも
尊い事とは想像していなかった





僕の命は愛するものと共にある




どんなに嫌なことがあったとしても

どんなに嫌なことをされたとしても


僕は愛で返すと決めた



僕は被害者にはならない

相手を加害者にもしない





僕は愛しか経験しない










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